
構想から10年の歳月をかけ建設が進められてきた「江之浦測候所」が、2017年10月より、予約制にて一般公開をしています。類い稀なる景観を保持し、四季折々の変化を肌で感じることができる小田原市片浦地区の江之浦にて、現代美術作家・杉本博司自らが敷地全体を設計した壮大なランドスケープ「江之浦測候所」は、ギャラリー棟、野外の舞台、茶室などで構成され、人類とアートの起源に立ち返り、国内外への文化芸術の発信地となる場として構想されました。長さ100メートルに及ぶギャラリー棟には、杉本博司のアート作品が展示され、野外の石舞台、光学硝子舞台では、さまざまな公演プログラムを開催しております。ぜひ多くの方にご来場いただければ幸甚です。
「小田原文化財団 江之浦測候所」PRESS RELEASEより
写真:冬至光遥拝隧道と光学硝子舞台
©小田原文化財団/Odawara Art Foundation
所在地 | 神奈川県小田原市江之浦 362-1 |
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入館方法 | 予約・入れ替え制。見学は日時指定の予約・入れ替え制となっていますので、公式サイトの「チケット購入」よりお申込みください。 |
見学時間 | 1日2回:午前の部(10時~13時)、午後の部(13時30分~16時30分) (各回定員制) |
休館日 | 火曜日・水曜日、年末年始および臨時休館日 |
アクセス | ■JR東海道本線「根府川駅」~施設間の無料送迎バス運行。 午前、午後の回ともに往復それぞれ3便ずつ運行。 [見学回:10時~13時(午前の回)] ・根府川駅発:9:45/10:05/10:30 ・江之浦測候所発:11:45/12:30/13:05 [見学回:13時30分~16時30分(午後の回)] ・根府川駅発:13:15/13:35/14:00 ・江之浦測候所発:15:15/16:00/16:35 |
明月門
写真:明月門 ©小田原文化財団/Odawara Art Foundation
明月門は鎌倉にある臨済宗建長寺派の明月院の正門として室町時代に建てられた。しかし大正12年(1923)の関東大震災の時に半壊し、数寄屋建築家で茶人でもあった仰木魯堂(おうぎろどう)に引き取られ解体保存された。その後大日本麦酒(サッポロビール、アサヒビール前身)の創業者で茶人であった馬越恭平の六本木邸宅の正門として、仰木魯堂により再建された。昭和20年(1945)、馬越恭平の茶友であった根津嘉一郎の青山の邸宅が、馬越邸と共に米軍の爆撃で被災し、唯一この明月門のみが焼け残った。馬越は自邸の移転を決め、残った明月門を根津家に寄贈した。 門は再度解体移築され、後に根津美術館正門として使用された。平成18年(2006)、 根津美術館建て替えの為根津美術館より当財団に寄贈され、小田原文化財団正門として解体修理され再建された。
「小田原文化財団 江之浦測候所」PRESS RELEASEより
茶室「雨聴天」
写真:茶室「雨聴天」
©小田原文化財団/Odawara Art Foundation
茶室「雨聴天」は千利休作と伝えられる「待庵」の本歌取りとして構想された。本歌取りとは古典を引用しつつ新作にその精髄を転化させる手法を言う。「待庵」は利休の目指した侘び茶の一つの完成形と目されている。それは2畳室床(むろどこ)という極小空間の内に、壁面の小舞の窓から差し込む光の陰影の中で、見事な空間が構成されているからだ。当時使われた素材は銘木でもなくあり合わせの材であり、壁も質素な土壁だった。そこでは意図的に山居に籠る聖のような「貧」が演出されたのだ。私はこの待庵の寸法を一分の違いもなく写した。小田原文化財団のあるここ江之浦の地には、同じく利休作と伝えられる茶室「天正庵」跡がある。秀吉北条攻めの際に諸将慰撫のために秀吉が利休に命じて作らせたと伝えられる。利休切腹1年前の天正18年(1590)のことであった。私はこの土地の記憶を茶室にも取り込むことにした。この地にあった錆果てた蜜柑小屋のトタン屋根を慎重に外して、再度茶室の屋根としたのだ。利休が今の世にいたら使ったであろう素材、私はそれを錆びたトタンと見做したのだ。天から降る雨がトタンに響く音を聴く。この茶室は「雨聴天」と命名された。茶室の躙口には春分秋分の陽光が日の出と共に躙口から床に差し込む。その時、躙口前に置かれた光学硝子の沓脱ぎ石は光を受けて目眩く輝く。
「小田原文化財団 江之浦測候所」PRESS RELEASEより